愛するものたちとの日常。


by candy-k1
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じたばた じたばた

「目がみえなくなる」
そう宣言されたら、私は、間違いなくあわてふためくだろう。
この先、どうしたらいいのか、不安で不安で仕方ないに違いない。

キャンディは、昨年、左目の視力を完全に失った。
白内障が、あっという間に進行してしまった。
獣医さんに診てもらうと、「もう、見えてませんね。見えているほうの目も、進行を遅らせることはできるけれど、目薬をさすのは、本人にとってかなりのストレスになって、今度は心臓に負担(キャンディは、心臓も悪いのです)もかけるので、余計な治療はしない」と言われた。
それからは、見えているほうの右目だけで、彼女は世界を見てきた。

「ずっと、右目だけでも見えていますように」

毎日、心で祈る。
でも、ここ数ヶ月で、また白内障が進行している。少しずつ白く濁ってきた。
きゅっと、心が締めつけられる思いで、一杯になる。
「見えなくなってしまったら、キャンディは、どうやって生活するんだろう」
考えると、かわいそうで、せつなくて、たまらなくなってしまう。

先日、佐野洋子さんのエッセイ「神も仏もありませぬ」を読んだ。

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筑摩書房
佐野洋子 著


このエッセイ、実に面白い。
北軽井沢に住まいを持たれる佐野さんが、そこでの生活、自分の老い、様々な事柄を、佐野さんの目線で、ばっさばっさと、書き綴っている。


この本の中で、佐野さんは、ガンに罹った愛猫フネを、自宅で見取ったことを綴っていた。
※抜粋
苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
畜生とは何と偉いものだろう。
時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと閉じる。
静かな観念がその目にあった。
人間は何とみっともないものなのだろう。※


そうか。
キャンディの目が見えなくなるかもしれない、ということを、受入れられずに、じたばたしていたのは、私だったのか。
キャンディは、左目が見えなくなったときも、事実だけを、すとんと理解し、受入れていたんだ。
すごいな。すごいよ、キャンディ。

「あんた。しっかりしなよ」と、佐野さんに、背中をばーんと叩かれた気がした。

それでも、まだ、じたばたしたくなる私。

ママが、キャンディの目になるね。
「そんなの必要ないわ。あたち、光の世界は見えてなくても、ママたちが見えない、いろんなことが見えているのよ」
キャンディは、そんな風に、私を笑っているかもしれないな。
私は、キャンディの持っている「生きぬく力」を、信じよう。

でもね、この先、目が見えなくなっても、どうか長生きしてほしい。
キャンディに、じたばたしている私を見て、笑われたとしても、
どうしても、どうしても、そう願わずには、いられない。

キャンディの両目が見えなくなるかも・・・というだけで、私は、こんなにじたばたしてしまう。
佐野さんの言葉を借りれば、まだまだ私は「みっともない」。

「受入れる」ということは、簡単なようで、とても難しい。
・・・・肝の据わった女になりたいなぁ。
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by candy-k1 | 2006-08-25 22:38 | おもうこと