愛するものたちとの日常。


by candy-k1
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ある子供

劇場で見逃した1本。

2005年、カンヌ国際映画祭パルムドール大賞受賞作品。
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20歳のブリュノと18歳のソニア。
ブリュノは定職につかず、盗品などを捌いて、その日暮らしをしている。
その二人の間に、子供が生まれる。名前はジミー。男の子。
子供を生んだソニアは、母の自覚に目覚めるが、ブリュノは、父親の自覚などまるでなし。
「このままの生活じゃだめ。仕事を」というソニアをよそに、「クズと一緒には働けない」と、今までと変わりなく盗品をさばく日々。
子供の認知届けを出しに行った帰り、思い立ったブリュノは、闇取引に子供を売りに行ってしまう。
ブリュノがジミーを、売ってしまったと知り、卒倒するソニア。
事の重大さに気づき、ブリュノはジミーを取り返しにいくのだった。

       ☆☆☆☆☆☆☆

タイトルの「ある子供」。
映画を観るまで、「子供」=「売られてしまった赤ちゃん」の意味だとばかり思っていたのです。
でも、見終わって、「子供」を意味するのは、赤ちゃんではなかったのね・・と気づきました。

確かに男の人は「はい、これがあなたの赤ちゃんよ。あなたに、ここがそっくりね」と言われても、すぐに実感がわかないでしょうね。
お腹で10ヶ月間、胎動を感じ、出産のその瞬間を体感して母親になる女に比べたら、体感を感じることができない男性に、「私と同じように感じてよ」と最初から詰め寄るのは、難しい事だと思います。

赤ちゃんのぬくもりに触れて、鼓動を感じて、こちらを頼りきったように抱きつく腕を感じて、自分を見て微笑む姿を見て・・・(もともと母性や父性を女も男も持っていると信じますが)母性と同じように、父性も、子供が与えてくれ、「親」として育ててくれるものなのだと思います。
その機会を与えてもらったブリュノだけれど、実感を抱く前に、子供を売ってしまう。
まるで、自分の生活の糧としている盗品と同じように、金を手にする為のモノとして。

彼は、これまで生きてきた中で、本当の意味で、愛し方も知らなければ、愛してもらう喜びも知らなかったのかもしれない。上っ面で生き、人と深く交わったことも、それについて考えたことも無かったのだろうな。混沌とした生活が、彼の大事な部分を麻痺させてしまったのかもしれません。

でも、自分の子供を売るだなんて、とんでも無い話。
お金が無いから、子供を売るという短絡的な発想に、
驚きと怒りがわきました。
事の重大さに気づいた彼は、子供を取り返しに行くけれど、当然のように、愛を与えてくれたはずのソニアの信用も失ってしまう。
それでも、お金を無心するブリュノに、少々の苛立ちを覚えてしまいました。
「愛している」そう言うブリュノに、「しらじらしい」と一括するソニアに、よく言った!と誉めてあげたくなりましたね。
でも、このブリュノをなぜか憎めない。そこが悔しい。

ひったくりで警察に捕まった少年に、面会と称して、自分が首謀者であることを自白する。
ここで、ブリュノは、初めて「何か」を人の心に残し与えることができたのかな。
心の変化が、彼の中に現れ始めたのでしょう。
そうさせたのは、モノとしてしか感情のわかなかった赤ん坊が与えてくれた、暖かいぬくもりであってほしいなぁと、願わずにはいられませんでした。

刑務所で流した涙は、どんな意味だったのかな。
とんでもないことをしでかした自分に、それでも会いに来てくれたソニアの寛容が染みたのかな・・・。
一人でジミーを育てて、しっかと生きるソニアに、自分を省みたのかな・・・・・。
あの時、ジミーを失わなくてよかったと、安堵していたのかな・・・・・。
生きていく意味をようやく見つけられた、喜びだったのかな・・・・・。

涙したその時の感情を、ずっと忘れないでいてほしいな。
ラストシーンで、そう願わずにはいられませんでした。

          ☆☆☆☆☆☆☆

余談ですが・・・・
「退院したての赤ちゃんを、首の据わってない赤ちゃんを、縦抱きにしてるぅーーーーー。窒息しちゃうーーーー」
違う意味でも、はらはらしっぱなしだったのでした(^^;)
これ、子育ての不慣れさを演出したものだったのかな?
それとも、ヨーロッパって、新生児を縦抱きにするのでしょうか?
謎でした。
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by candy-k1 | 2006-08-23 21:56 | 映画 音楽  本